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2010年12月26日 (日)

【DA2】無言の主人公の是非。

 「ベスとカーヴァー」でご紹介した公式フォーラムでの激論はまだまだ続いているようです。
 今回は「主人公は無言であるべきか、雄弁であるべきか」というお題。

 なんでお前はそんなにこのネタ引っ張るんだ? という疑問を抱いてる方も多いでしょう。

1.ゲイダーさんの発言を翻訳するのが楽しい。

 確かに手に負えないときもあります。でもそんくらいややこしくないとこうやって訳してても面白くないんだよね。他のライターはあまり登場しないし、ライター以外の開発者は、ライターたちの上司にあたるリードデザイナー以外は守備範囲が違うのでストーリー・シナリオ面にはあまり口は出さないので、ゲイダーさんピンポイント、ファンサイトのようになってますが。

2.ここらへんに、JRPGの危機という問題の解を含めた、今のCRPG全体を覆う何かがあると考えているから。

 かつてはFPSやRTS、そしてRPGもあくまで好事家の嗜みだったんですが、ご多分に漏れず高性能コンソール機の登場、カジュアル層の勃興、ゲーマーの高年齢化という洗礼を受け、今や(RPG以外は)「主流コンテンツ」となってしまった。当然コアゲーマー(つうか好事家)の求めるものと一日何時間も遊ばないカジュアルの嗜好は中身が変わってくる。 
 マスマーケット向けのビジネスは数の論理が支配し、定義上カジュアルが多数派ですから(多数派のハードコアってのは形容矛盾だべ?)、送り手は多少なりともカジュアルを意識し、擦り寄らざるをえない。 

 だから私にはフォーラムで「あの日に帰りたい」と涙ながらに訴えているオールドスクール派の気持ちも多少わかる。わかるんですが、それじゃもう今通用しねえだろう、という感想を抱くことも多い。
 変化の過程にあるから揺らぎも大きい。逆に言えばもめているところに変化の本質があるかもしれないと私は予想してるってことでしょうね。確証はないですが。
 ゲイダーさん曰く、人間はしょうもないことでメロドラマチックに大騒ぎするのが大好きな生き物だそうだから。

3.人が(人生に何の違いももたらさないたかがゲームごときで)目くじら立てて大騒ぎして泣き叫んでいるのを見る(読む)のはとても楽しいから。

 この話題のスレッドだけでも、"amusing"、"amusement"というコトバが何度も登場する。「大騒ぎする様が笑える、滑稽に見える」という意味ですが、私もそういう意味で言っている。人間というものはかほどさように変化を怖れるものなのか、と呆れもしますね。 

 あまりDA2ネタバレの危険はないが、万が一を考えて「続きを読む」の下に。

 The Escapistのプレヴューで、レイドロウ氏が「一般に無言の主人公は嫌われる」と発言したと記載されていることもあげつらわれている。

 原文はこうだ。

 "People generally hated the silent protagonist."

 やはりhateというのはきつい表現だったようで、守旧派の逆鱗に触れたか、「統計的に正しいのか」、「"Oblivion"や"Fallout 3"の主人公は無言だがセールスは好調だ」とか騒がれている。

 ここは、ものの言い方なんか瑣末な話で、レイドロウ氏の抱えるリード・デザイナーとしての重圧とリスクを感じなければならない。
 DA:Oは、"Oblivion"と同様にBioWareが"Baldur's Gate"、"Neverwinter Nights"からずっと墨守してきたオールドスクール派の「喋らない主人公」を踏襲していたが、DA2ではME2に倣って「雄弁な主人公」に転換した。その決断をしたのが彼だ。
 それが原因で売れなくなったらどうしよう。果たして本当に正しい決断だったのか。いや正しいはずだ、そうに違いない!と自問自答を繰り返して出た苦渋の思いの発露と考えるべきだ。

 ゲイダー氏によれば、DA:Oでも主人公にヴォイスオーヴァーをつけるアイデアは検討され、テストまで行われていたという。そういえばSacred Ashのグレイ・ウォーデンには、ちゃんとセリフがある。
 最終的には導入しないことになったのだが、今ではカットシーンに期待していたインパクトが欠けているなどの理由から「無言の主人公」の道を選んだことを後悔もしているという。

 JRPGの世界では「喋らない主人公」は堀井さんがずっと昔から墨守している(DQIXは知らんが、きっとそうでしょ?)。「喋らない」ではなく意図的に「喋らせない」というべきかもしれない。
 一方、FFは(確か初期の作品では踏襲していたが)結構早くからそれを放棄して、「雄弁な主人公」の路線に転換した。
 論点はヴォイスオーヴァーがあるとかないとかではない。堀井さんの主人公は、プレイヤーが選択しない発言は決してしないが、FFの主人公はそれ以外にも勝手に喋くりまくる(初期にはテキストベースで、後にはヴォイスオーヴァーで)。
 私が最近のJRPGを全部やってるわけがないのであるが、今ではFFのノリが優勢なような気がする。いわゆる「キャラゲー」という悪口を言われるのは大抵こっちだ。もちろん私はキャラゲーという事実だけで良し悪しを決め付けるつもりはないので誤解しないように。

 堀井さんの場合は、「主人公はプレイヤーそのもの」であるから、他人の声(他人の思考方法)で喋るのはおかしいという発想であり、オールドスクール派の主張と同じだ。レイドロウ氏は、まわりで大変なドラマが進行しているカットシーンでも一切喋らないこの無言の主人公を「ストイックな傍観者」と呼び、ドラマづくりにとっては害悪であるという。
 FFの場合は「主人公はプレイヤーそのものというよりはアバター。またあるときはプレイヤーの手を離れた別の物語、劇中劇の登場人物でもある」から、プレイヤーが完全な傍観者になる局面も許容する。カットシーンではプレイヤーの手を離れた主人公が(シナリオライターの思い通りに)勝手に立ち回るかもしれない。
 どちらが勝るとか劣るとか言うのは、一人称の小説しか認めない、三人称の小説はよくない(またはその逆)という議論と一緒だ。議論が不毛というのではなくて、提示する物語の内容やねらいと照らしあわせて、かなり真剣に考えないと結論が出ないはずだ。

 畢竟、プレイヤーはゲームの傍観者だ。送り手がどこまで幻想の世界に浸らせてくれるかによってゲームの良し悪しが決まる。主人公が無言であるか雄弁であるかは、あくまで手法でありツールだ。

 シェパードが雄弁だからといって、Mass Effectシリーズの価値が毀損しているのだろうか。「いや、無言だったらもっとよくなる」というなんの基盤もない言いっぱなしの反論くらいしかないのではないのか。

 例えばFPSでは文字通り「プレイヤーが一人称の主人公」なのだから、視点がそこから外れるほうが興ざめするので大問題だといわれる。
 "Oblivion"、"Fallout 3"、"New Vegas"でカットシーンが極端に少ない(ゲームによってはほぼ皆無)なのも、同じ理由だ。主人公=プレイヤーの基本を守るゲームはカットシーンになじまないし、それを必要としないともいえる。
 ケース・バイ・ケースなのだ。

 レイドロウ氏とDAチームはME2を模倣する決断をした。細工は流々仕上げを御覧じろ(ごろうじろ)、というのだから、それを待つしかない。

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コメント

タイトル見てドラクエ派vsFF派の争いを思い出した。

 ドラクエ流はあちらでさほど普及していないようで、JRPGといえばFF流をさすのが定着してるみたいですね。
 逆に「王道和製RPG」とはドラクエ派(FFのかなり古いもの含む?)を指すようで、三頭身を頑なに守ってたりしてます。
 自動車移動文化のアメリカで「すれ違い」てのは成立したのかどうか知りたくもあり、あんまし興味なくもあり・・・。

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