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2010年7月 5日 (月)

Extra Lives: Why Video Games Matter

 買うべきか買わざるべきか。
 ゲーム関係の批評書で、今までまともなものにあたったことは残念ながら皆無だ。
 この記事は面白かったが、果たしてくだんの新刊、"Extra Lives"は読むに値するものなのだろうか。ここが思案のしどころ。私のオポチュニティ・コストに見合うのか。

 http://pc.ign.com/articles/110/1103446p1.html

 著者はWikipedia(en)のごく短い記述によれば、本来世界各地を旅するジャーナリストで、最近では紛争中のイラクやアフガンにも滞在している。ネオコンには批判的な姿勢だが、リベラルでもコンサバとも違うそうだ。国際関係問題、とりわけ旧ソ連邦や共産主義についての考察が多いのが特徴的。また文芸書評も手がけており、Harper's、The New York Times Book Review、The Guardian、The New Republic、the New Yorkerなどに寄稿している。

 そして、今まで公言したことはないそうだが、筋金入りのビデオゲーム中毒者であるそうだ。1974年生まれというから、確かにそのことをあまり周囲に公言する年齢でもないかもしれない。

 "Gears of War"のクリエイターを取材したthe New Yorkerの記事を執筆した頃(上記リンクの記事内にリンクあり)、すでに多数のゲームをプレイしていた。別の書籍の執筆でつまづいてはゲームに逃避した。そんなにゲームを遊んでいるなら、なぜゲームについて書いてみないのか、Gears of Warの記事で書きたいことを書きつくしていないだろう?と自問した結果がこの書籍であるそうだ。

 書籍の題材となったビデオゲームは、"Fallout 3"、 "GTA"、"Resident Evil"、"Far Cry 2"など、ヴァイオレントものが多いが、本人はストーリーテリングのあるゲームに最も興味があり、プレイするものは非常に偏っているそうだ。
 
 IGNの記事自体も比較的長いし、全部訳する義理なんて誰に対してもない(つうか、文芸批評家のクリプティックかつ難解なお話ですから、このBlogの狭い範囲の読者ですらほとんどの人は途中でイヤになるでしょう)。
 ざっとつまみ食いして訳してみよう。ただしそこがこのインタヴューの本意とは限りませんよ。ここだけ読んで知ったかぶりして要らぬ恥をかいても当局は一切関知いたしません。

**********

IGN: ゲーム批評で興味深いのは、審美的な観点からある種のゲームを切り捨てる(dismiss)ことがあること。ウィー、ザ・シムズやニンテンドッグは「カジュアル」だから・・・とか。あなたの選んだゲームはシリアスで暴力に満ちているものが多い。ゲームには「シリアス」と「ノンシリアス」の二種類があるんでしょうか。

Bissell: 前文でも書いたように、自分は非常に偏った分野のゲームを遊んでいる。ストーリーテリングに興味があるからそういうものが中心だ。他を切り捨てるつもりはないが、自分でよく遊ぶものを今回の題材に選んだだけ。
 カジュアルゲームでは、ゲームプレイが洗練され続ける一方、ストーリーテリングは水面下に隠れている(submerge)。無意識下に隠れている(subliminal)とまで言ってもいいかもしれない。それについて書くのは難しい。少なくとも自分には。「最後の晩餐」のほうが「ロスコ」の抽象画より描くのが簡単でしょう。純粋なゲームプレイについて書くのは辛い。自分で表現しやすいものを選んでるだけで、十分面白いに違いない他の分野を排除するつもりなんてない。

IGN:Slateのレヴュアーは、「あなたのゲームへの思いくらい力強いゲームをいつの日かプレイしたい」と書いていたが、(訳:その皮肉に満ちた物言いは)こちらにとっては少しガッカリした。なぜならそれは、伝統的なポップアートの形態の力を賞賛することで、ビデオゲームという形態自体を排除することでもあるからだ。メディアの可能性を持ち上げる一方で、ビデオゲームが成し遂げてきた過去の偉業について矮小化する傾向ってのはひどく悪しき習慣だと思う。あなたはどう思う?

Bissell: 彼のような、ゲームがそしてゲームプレイが好きな人々は、娯楽を提供するためのより伝統的なシステムに対して意味を見出したがる傾向があると思う。その種の人々にとっては、ゲームが、単に「気持ちいい」というようなレベルではなく、自分たちが真に探究できる批評的な語彙を持たないレベルで語りかけてくるなどということを熟慮してみることは難しい。(訳:この表現がすでに難しいw) それが大問題なんだ。
 ゲームは、ゲームプレイレベルでは多くの奥深い余韻をもたらすが、伝統的なレベルではほとんど何ももたらさない。"Gears of War"のような、アホ臭く、間抜けで、暴力に満ちたゲームで、かつ気持ちいいものもある。君のGearsのプレイを傍観している誰かに、この本当にエレガントなコンバット・コントロールがこのゲームの奥深さの源なんだと説明するのはとても難しい。
 この本の中でも、ありえないくらいしょうもないストーリーのゲームでも、メカニカルな面で奥深さを真に体現できているものなら、やはり偉大なゲームだ書いた。その形態を認めない人たちを説得する方法があるかどうかはしらない。ゲームに関心を払わなくちゃならない、としかいえない。そして「これがすき」、「これがキライ」というレベルを超えて関心を持たなくちゃならない。ゲームをプレイして得ることができる本当の感覚を大切にしなくちゃならない。

IGN: ロックンロールと同じですね(訳:裕也さんみたいになってきたぞw)。

Bissell: そそ。えにもいわれぬクオリティ。(訳:なんだよ、ストーリーテリング重視じゃなかったのかよ)

IGN: ですよね。歌詞を後から知れば、そのほとんど意味を持たない二行韻の羅列が、リズム、ピッチ(テンポ)、グレイン(パターン)、ボーカルやなんやらとあいまって音楽になって、何か超越したものに聴こえるんだ。 

Bissell: まさに完璧な比喩だと思うよ。

**********

 このくだり、Slateの次の(批判的な)レヴュー記事を私がちゃんと読んでからじゃないと真意伝わらないですね。だからちゃんと読んだよ。
 そしてこの書籍の著者が「シリアス・ゲーマー」であり、「ハイ・レベル」のゲーム中毒者であり、コカイン中毒者でもあった時代があることがわかる。

http://www.slate.com/id/2256613/pagenum/2

 このレヴュー記事の出だしはこう。「過去2週間、自分はRed Dead Redemption(RDR)で16時間遊び、60%の達成率だったそうだとゲームのスタッツが教えてくれた。このペースであと1ヶ月は遊び続けられるだろう。もし飽きが来なければ(そう簡単にこないだろうが)、もっと長時間遊べる。
 だが、長時間には上がある。平均的アメリカ人はテレビ視聴にもっと時間を費やしており、。自分はネットに長い時間を費やしている。自分の場合、ゲームは非生産的な時間帯に制限している。RDRを遊んだからと言って、仕事も生活も破綻していない。
 そしてゲームは楽しい。もし君が快楽こそ人生の目的という理論を受け入れるなら、君は私にRDRをもっとプレイしろと主張するだろう。
 ではなぜRDRを長時間プレイすることに罪の意識を感じるのだろう? それはRDRがいかに洗練されたゲームであっても、他のある種の形態のポピュラーアートに比較してひどく堅苦しいと感じてしまうからだ。
 過去、RDRにしろどんなゲームにしろ、音楽や映画、TVショーで感じたような感動を与えてくれたことはただの一度も思い出せない。

 真ん中はこう。「著者にとってはGTAは、コカインと同等レベル。時間を忘れることのできる没入性、逃げ出せない依存性、そしていい気持ちと悪い気持ちの両方を同じだけもたらしてくれたそうだ。彼によればゲームはストーリーが大事で、物語性の欠如に憂慮しているという。自分にとってストーリーはGTAだろうがRDRだろうが「おかず」であり、そのふたつのゲームは単に他のゲームよりましで賢い程度だ。ストーリーのシーンはスキップできるし、主人公を動かす自分がやりたいからそうプレイしたのであって、なぜそうしたかといえば、そのほうが面白いからだ」

 まとめはこう。「表面上は楽しい読書であったが、この本はかなり悲しい。彼のドラッグ影響下におけるゲームへの逃避について思い巡らさずにGTAを遊ぶことは二度とできないだろう。いつか、この書物がゲームに対してそうであるように、私の傍から長く手放したくなくなるようなゲームを手にしたいと祈る。だが悲しいことに、それも難しそうだ」

 なかなか。辛らつな書評である。

 「しょうもないストーリーで、優れたゲームプレイ」のゲーム。
 「優れたストーリーで、しょうもないゲームプレイ」のゲーム。

 そんな議論も不毛だよね。そんだけ没頭して、ポイントそれかよ!という気もする。

 そして、この本は読まなくてもいいか、とも思い始めた。ハイゲーマーの手記を読んでいかほどの価値があるのだろう。
 

 つうか、この記事を読んでる人こそ、もう誰もいないか・・・。

 今は時間が最も貴重な資源である私にとっては、「やっぱちがったね」のリスクは冒せない。損害無限大。

 そうかiPadで読めばいいのか!
 iPadないな。

(追記)
 読み直して、これじゃ意味わかんないな、と思ったので補足。誰も求めてないだろう。いいの別に。

 著者のほうは、ストーリーテリングに興味があるといいながら、「でもゲームのよさを言葉にするのは難しい」とか逃げ口上満載。「批評できる語彙を持たないレベルのもの」なんて批評できないでしょう。目に見えないピンクの馬? ユニコーンだっけ? それと同じ轍を踏んでませんか?
 ロックンロールが完璧な比喩なんて、ロックにストーリーはないぞ。あるのはドラマだけだ。 

 Slateの批評のほうは「いいおとながゲームに逃避してアホじゃん。時間の無駄じゃん。ストーリーがどうとかいうなら、ゲームじゃないだろう。小説読めよ。映画観ろよ。こっちはそれほど暇じゃないんだ」ということ。

 簡単に言うとね。
 実は著者のほうは一見してわけわからんことつぶやいてるから、もしかしたらオシイさんみたいにすごいことを言ってるかと思ったが、どうも違うようだ。そしてオシイさんもよく聞いてるとやっぱ違うようなのはご承知のとおりだ。
 購読は自己責任でね。 

 

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