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2010年7月12日 (月)

Dragon Age II イッツ、オーケイ。(3)

 翻訳には人それぞれ工夫というかお作法があると思いますが、私の場合、面白そうな記事を最後まで読んでしまってから和訳というのは、あまりにもったいなくてできない。
 最初を少し読んだり、さわりだけ読んだりして、これだね、と思ったら、結末まで読まずに訳しはじめてしまう。
 特に欧米のレヴュー記事、ゲーム紹介記事などは、きちんと書き手のお作法が守られているので、最初と最後だけ読めば大筋わかる。でも面白いのはやっぱ細部、ディテール。それを英語として読んでしまうと、なんつうかな、RPG的にいうとそのエッセンスがあっという間にコンジューム(消費)されちゃう。日本語にしようと思って読んでいるほうが、味わいがいつまでも残る。多分に個人的、自己中心的発想です。

 もうひとつは、細切れ時間にやっているので二回読むのが惜しいってのもあるけどね。

 それだから今回のようなザマになってしまう。全体の分量がどれだけあって、記事一つに収まらないから何個になるか、とか計算していない。あくまで手なりです。

 しかもこの方法はあまりお薦めしません。なぜなら校正がメチャクチャ大変。最初と最後でトーンとかノリとか言葉使いまで変わってしまうので。

 全部言い訳。

**********

 ダイアログ・ホイールだろうがなんだろうが、ホークがくっちゃべろうが、会話の間中でくの棒みたいに突っ立っているだけだろうが、主人公が正典キャラの男性・戦士・ホークであろうがなんだろうが、Bowareが私が恋して止まないキャラクターとともに引き込まれるストーリーを放り投げてくれるのであれば、そのゲームは成功だ。私がもしストーリーから何らかの得るものがあったり、ひどい選択の結果とんでもない状況を生み出して後悔してしまうのであれば、ゲームは成功だ。何かを達成して満足した気持ちと、もの悲しい、憂鬱な気持ちがない混ざった気分になって、クリア後のエンドクレジットを眺めることができたなら、そのゲームは成功なんだ。

 そう、我々はOriginsで甘やかされ、スポイルされてしまったのだろう。あまりに出来すぎなので、そのメカニズムを好きになりすぎたのだろう。でも私にとっては、RPGのメカニズムなんてストーリーに比べればどうでもいいことだ。私の最近の記事、"Leliana’s Song "(レリアナズ・ソング)のレヴューではメカニズムの問題は気に食わなかったけども良い作品だと評価した理由だ。今まで読んだ情報によれば、"Dragon Age 2"のプレゼンテーションは、"Leliana’s Song "とさして変わらないと思われる。まだそう決め付けるには情報が不十分だが。

 そして私にとって、RPGをずっと遊び続けて、深くのめりこんでストーリーの穴埋め物語を作ったり、ゲームの中で語られない経験を空想していくと、ゲームは第四の壁の向こう側までたどりつく。

(訳:「第四の壁」。観客と演者の間の見えない壁。観客は演者の行動を演者に見られず観察でき、演者も観客を意識してはならない、とする演劇用語だそうです。逆にこの壁を突破することを意図したような演出もあるそうな)

 例えば、私は今、Kallian Tabris、花婿を婚儀のその日に喪い、復讐のためヴォーンを葬り去った女性シティ・エルフをプレイしている。彼女はヒューマンが大キライだ。ケイラン王と会ったとたんに面と向かって罵倒するほどだ。だが彼女のメイカーに対する信心により、(女性として主人公とさして違わない存在の)レリアナとの関係、アリスターやウィンとの友情によって変化していく。エイリアネイジを出たばかりのヒューマン嫌いのエルフではなくなっていく。そして、今あなたたちに伝えているこのストーリー、これは私のものだ。

 私のKallianの物語だ。あなたのKallianの物語はまるで違うのだろう。でも私が行った決断、他者との交流などで形作られた彼女の人格は、ゲームにコーディングされたものではないが、私の心の中にある。

 彼女は、私の一番最初にプレイした他者に優しく気高いクースランドの主人公(訳:ヒューマン・ノーブル・オリジン)とは全然違う。次にプレイしようと考えている、無情で復讐に燃え、弱者に情け無用のアイドゥーカンの元王子(訳:ドワーフ・ノーブル・オリジン)ともまるで違う。

 Biowareはキャラクターとストーリー作りの達人だ。私がプレイした全ての作品(最近ここ(greywardens.com)でも大変な攻撃を受け続けている"Mass Effect"を含む)において、この世界で失望させられたことはない。もちろん、"Mass Effect"のコンバットはどうにかならんのか、"Knights of the Old Republic "や"Dragon Age"のようにもっと伝統的なものでよかったのではないかと思ったのは事実だ。だがストーリーは最後までプレイを促してくれ、私のFPSのスキルを高めなければならないフラストレーションなどよりも十分実りある結果を見せてくれた。

 Biowareは、行動と倫理観の定番コンセプトを改良し続けており、ホークを操る我々にも非常に選択の難しい問題を投げかけてくることは間違いない。後悔するに決まってる決断や、自分を弱めたり、他者を傷つける結果になる決断も迫られるだろうが、自分で正しいと思ったものであればそうするつもりだ。

 だから、そう、ゲームのメカニズムはもっとずっと「主流」のものになっていくのはやむをえないだろう。だがBiowareが良いキャラクター、良いストーリー、厳しい選択を持ち込まないなんてことを心配する必要などない。"Dragon Age: Origins"が面白かったのはそこであったし、ウォーデン主人公をカスタマイズできることや、コンバットが楽しめること、ダイアログ・システムを簡単に使いこなせたなどはそれらに比べればボーナスくらいの扱いだろう。

 だから目をそむけないようにしよう、"Dragon Age 2"は"Dragon Age: Origins"とは違う。そう、物事は変転するのだ。だけどその核になる部分で、間違いなく前作の精神的後継になるであろうことは信じてよいと考えたい。Biowareや他の開発会社が、私が愛して止まないRPG(キャラクター、ストーリー、ワールド)を作り続けてくれるのであれば、将来に不安は感じない。FFVのROMを父のコンピューターではじめて遊んだ日、このジャンルの偉大さに私の目を見開かされてくれた日からずっと楽しんできたRPGの経験が、将来にわたり続いていくことを期待している。

**********

 FFVの英語版? それもPC版・・・。Eidosがへくって、その前も誰かがへくって・・・、その前も、その前も・・・。
 おお、自家製翻訳版があるのか! よかった。こんな記事で違法ものの話が出てくるのかと驚いたが(自家製翻訳版が合法かどうか知らんけど気にしない)。

 とりあえず終わりました。
 感想。
 若いなあw。

 「自分自身のストーリー」は、デヴィッド・ガイダーのインタヴューでも彼が力説していたように、もう壁に貼っておきたいキーワードですからねー。
 結局まとまりつかなくなって、「だーかーらー!」とか叫んでいるところが若いなあw。
 若いっていいね。

 DA2はやはり、RTSとのハイブリッドか、一部CIVV(わかりにくいな、シヴィライゼーションVだ)のようになるんでしょうかねえ。正直言えば、それは勘弁だけど、個人的には概ね筆者の言うとおりの気持ちですね。Biowareが提供するストーリーなら期待したい。
 いまわかってる情報からいえることは、確かに、ただそれだけ。
 

 

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