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2010年5月17日 (月)

ストーリーテリング(2)

 ざっと読んで、"Heavy Rain" と"Mass Effect"が登場しているから興味を持ったこのエッセイ。

 http://ps3.ign.com/articles/107/1071065p1.html

 またしても逐語訳は辛いので抄訳・超訳。いつもどおりエッセイである以上、冒頭が大事なはずなので、そこらは濃い目に。だんだん薄めに。
 中にはプレイしていないゲーム(特にシューターの一部)など出てきて、こちらちんぷんかんぷんな面もありますので、気になったらご指摘くだされ。

********** 

 友よ、正直に言おう。過去半年ソニーやPS3について書いた記事全てのひとつひとつについて、"Heavy Rain"の名前があるかどうかチェックしている読者がいたようだ。まるでこのゲームがソリッドゴールドの刀を持ったアインシュタイン(注:んー、なんの比喩だろう? ハロウィン?)かのように期待していたのだろう。
 彼らがそうするたび、私はちょっとすくみ上がった。想像を絶するような素晴らしいものを期待し夢を抱くことに腹を立てたからではない。自分だってそういう夢は持つ。そうではなく、自分がE3で"Heavy Rain"のデモを実際にプレイする機会があったからだ。
 
 もちろん興味深いテクノロジーはあった。だがゲームプレイは大抵ひじょーーーーに遅く、長ったらしいイヴェント・シークエンスが挟まっていた。まるで、アイリッシュ・パブの夕食みたいなものだ、と仲間に言ってまわったらみな同意した。「そうだな、これはもういいや」と誰かが言った。自分もそうだった。

 だから、何度か読者のコメントにこう返してみようかとすら思った。「みんな、過度の期待は持たない方がいいよ」
 そうしなくて本当によかった。"Heavy Rain"が偉大なゲームであることは10分のデモには集約できなかったのだ。それを一言で要約しよう。コンテクスト(文脈)だ。

 もちろん、ゲームのストーリーなんて無視、キャンペーンなんてとばしていきなりマルチプレイヤー・モードをはじめる人も多い。残念なことだ。
 確かにマリオは過去25年間同じ話を繰り返している。メタル・ギア・ソリッドのもつれあったプロットから意味を見出すには大ナタを振るって枝葉をバサバサ払う必要もある。だが永久にハイスコアを叩き出したりレベルアップし続けない限り、ゲームを進めるにつれストーリーそのものが報酬になる。レベルをクリアしカットシーンを見る。ゲームをクリアし(大抵あまり大したことのない)カットシーンを見る。

 ゲームは変わりつつある。食べ物アイコンを得るためボタンを叩き続けるものから、より深く込み入った物語がゲーム全体の体験に入り込んできている。
 ゲームを遊んでいるのではない・・・。ストーリーを楽しんでいるのだ。小説を読んでいるのだ。小説を読み進めればそうしたストーリーはいつも起きている。

 フェアにいおう、この変化はすでにしばらく前から起きている。ホラーゲームでは"Alone in the Dark"が濃密で抑圧的な雰囲気を作り出した嚆矢だ。単にそうした雰囲気に浸るだけだった前作と異なり、10年後にリメイクされた"Silent Hill: Shattered Memories"の風景はプレイヤーの選択で細部が変化するものとなった。"Dead Space"の舞台では何が起きたのか自分の目で見極めることになる。

"Dead Space"が広がりのある神話世界を築いているのは、EAがマルチメディア戦略を有していることと無関係ではないが、ストーリーテリングの手法をValveとIrrational Gamesから借りているのは確かだ。

 どっぷり浸れるゲームプレイが重要と信じているのが、これらふたつの会社だ。ゲームの間中、ずっと無言の主人公の目を通して、視点を変えない。またストーリー要素とミッションの提示も賢い方法で行う。カットシーンを使わず、他のキャラクターがそばに近づいて、話をすることで物語を進める。さもないと彼らが悲惨な目に合うのをなす術も無く見守ることになる。

 加えてIrrationalは、無線とオーディオログのヴォイスオーヴァーでプレイヤーを導き、物語の穴を埋め、背景を語る。Valveは落書きでそれをやる。ずっと以前に死んだ人々のメッセージ。"Portal"における警告はさらに素晴らしい。"Left 4 Dead"の安全地帯の壁に書かれたメッセージも、元々ストーリー性のないゲームに目が離せない背景ストーリーを与える。一人称世界に没頭することを除けば、"Dead Space"もこれら全てを盛り込んでいる。メニューにアクセスしてる間にも、モンスターが後ろから近づく。そのときプレイヤーはゲームの中に、ストーリーの中にいる。

 環境自体が物語を語りかけようとしているのに、ストーリーを無視するなんて、できっこないじゃないか。
 
 "Bioshock"(Irrationalが2KBostonの時期に開発)は、その舞台である海中都市Raptureでさらに一段高みに上った。元々FPSであったのだが、その哲学をぶち壊しにする直前まで見直し、ゲームをプレイするだけでそうしたアイデアの結果とその欠陥にも触れることができる。遺伝的ミュータント、スチームパンクロボット、蜂を元にした(bee-based)武器が出てくるゲームにしては上出来ではないか。

 "Bioshock"からテーマを除けば、そこらへんのシューターになる。"Crysis"、"Killzone"、そして"Modern Warfare"の間の違いはコンテクストのちょっとした違いだけだ。よくできた単純なシューターは好きだが、コンテクストに深みがあれば体験も深いものになる。

 さて、"Heavy Rain"ではゲームすべてがコンテクストである。ゲームプレイは二次的、派生的なものだ。Quantic Dreamが狙ったのは、息詰まるストーリーを語り、プレイヤーに結果への影響力を持たせること。非常に変わったコントロール手法を用いたのも典型的なマップは典型的なゲームに向いたものだからだ。Quanticのストーリーは異なるインターアクションを必要とした。
 だがそのストーリー、それだけが、ゲームを最後まで続けさせる原動力だ。デモをプレイして、誰の頭蓋骨に穴が開こうが興味もなかったのは、イヴェントシーンに興味が無かったからだ。長く遊び、Norman Jaydenに感情移入 した頃にはイヴェントも気にならなくなった。ストーリーに引き込まれていたからだ。
 
 色んな意味で、これは新世紀の"Myst"である。"Heavy Rain"からゲームを取り除いて何か別の面白いものを見つけることも可能かもしれないが、ストーリーを取り除けば、そこにはゲームもない。
 
 これは物差しの一方の端。"Heavy Rain"は特異で、時代を先取りしすぎているかもしれず、たとえ大ヒットしたとしても他者がこぞって追随する例には決してならない。なぜなら主流から大きくかけ離れたもの、アクションゲーマーが馴染み、パブリッシャーが頼りにするものとは大きく違うものだから。

 だからといって無視すべきでもない。すでにデヴェロッパーの多くはストーリーが主要な「売り」(セリング・ポイント)であることを把握している。"Command & Conquer 4: Tiberium Twilight"ではティベリウム・サガの結末を見せることがまずありきで、皆やっちまえ!(kickass)のノリのRTSの部分はその次だ。"Dead Space"の戦略的切断についてどんなコマーシャルでもただの一言も触れられなかった。だがマーケティング上の決断の向こう側を覗けば、企画段階の時点からゲームそのものに特別な努力が注ぎ込まれていることはわかるだろう。

 しばしば報われない誤った努力もなされる。パブリッシャーはクライヴバーカーなどの著名な作家を雇ってはB級プロジェクトになんとか活路を見出そうとするが、結果は大抵惨めなものだ。ゲームのライターなら、ゲームのインタラクティヴな部分をプレイしなければならない。カットシーンをいくつか仕上げてよし、というわけにはいかない。ゲームの雰囲気自体を書かなければならない。キャラクターは、プレイヤーから見て何か重要なものを見出すことができる存在でなければならない。選択肢もとても重要。さらに言えば、プレイヤーが選択したがるものを鏡写しに見てみて、プレイヤーが経験しそうな感情も反映させて、そう、秀逸な書き物がそうであるように、プレイヤーの感情を操作しなければならない。
 伝統的にストーリー重視のRPGが得意とする分野であり、皆が"Mass Effect 2"の成功を注視する理由でもある。

 Biowareは、"Mass Effect"の一作目の欠点について、3つの非常に賢い修正を行った。
 まずセリフの選択肢が「プレイヤーが言う/する」から「プレイヤーが感じている」に変更された。そのあとの部分はCommander Shepardが勝手にやる。二作目でコンティニュイティ(注:物語の継続性、意訳するとプレイヤーの決断で左右されるその後の展開との因果関係)を持ち込んだが、これこそオタクの大好物だ。オリジナルキャラクターを持ち込むのは10年以上昔の古き良きUltima時代以来ついぞやったことがなかったがBiowareは素晴らしい形で持ち込んだ。
 一作目の"Mass Effect"における決断のひとつひとつは、続編にドラマチックな影響を与える。ストーリー、「プレイヤーの」ストーリーは、先に終わったところからそのまま続き、過去の決断に従ってその先も進行していくのだ。

"Mass Effect 2"は特別だ。自分はシェパードを再びプレイし、一作目でやらかした自分の決断に向き合わなければならない。安物ストーリーを進めるために洗濯物リストのようなクエストをやらされるのではない。自分は"Mass Effect"をプレイすることで"Mass Effect 2"の物語を紡いだ。同じように、今自分は"Mass Effect 3"の物語を紡いでいるのだ。

 そして、そうでなくちゃならない。

 どう贔屓目に見ても、ボスを次々投入するためだけのために必要な弱いストーリーのゲームも常に存在する("Ninja Gaiden"が真っ先に思いつく)が、別にかまわない。何も考えずに楽しめるなら、それも楽しい・・・、しばらくの間は。だが、我々は仮想世界で大変長い時間を過ごすわけだ。「ハードコア難易度でクリア!」以外にも何かが欲しいじゃないか。
 上に記載した多くのゲーム、そして記載することのできなかったさらに多くのゲーム、はその「何か」を与えてくれる。最終的な答えはそのうちの唯一つのものではないだろうが、"Heavy Rain"のような深みあるストーリーと、"Portal"のように没頭できる内容のものが"Mass Effect 2"のようにコントロールされているなら自分は間違いなく興味を惹かれるだろう。
 そういうゲームがもしかしたら本当に出るかもしれない。ストーリー・ドリヴンのゲームがセールスでも大成功を収める時代は来ている。だからここに来てついに、パブリッシャーもディヴェロッパーもようやく事態に気がついたのだ。

 引き込んで離さないストーリーを語れば、皆プレイせずにはいられないだろう。そして長い間プレイし続けることだろう。

**********

 抄訳どころか、ほぼ全訳になってしまった・・・。

 "Heavy Rain"について辛口だった個人的に言い訳をすれば、ストーリー自体にコミットするには、あの「ゲームプレイ」がむしろ余分だった。ストーリー自体もそんな大絶賛というものとも思えなかった。
Heavy Rain"は特異で、時代を先取りしすぎているかもしれず・・・」の部分にはうなずく。ストーリーを語るならそれに特化して欲しいと思うし、それは難しいことでもないと思う。

 "Nier"のストーリーは、秀逸まではいかないし、ご都合主義な面も見逃せないが、決して悪くはなく、十分興味深いものだった。なぜそれを最初から前面に出さず、古臭いゲームプレイの寄せ集めと誤解を与えるようなつくりにしてしまったのか、いまだに謎である。

 "Uncharted 2"は、アクション・パズラー・シューティング・アドヴェンチャー?とかなんと呼んでいいかわからない代物だが、その各部分のどれもが輝いている上に、「ストーリー」がきちんとしている点も見逃せない。もちろんシーフものの定番であるから、「最後は骨折り損のくたびれ儲け」と予定調和的に帰結するのは当然なのだが、途中の波乱万丈のストーリーは、少なくともB級アクション映画を凌駕している。「インディ・ジョーンズ」まではいかなくても、アラン・クウォーターメインものや、ロマンシング・ストーンには匹敵してるんじゃないか?

 文中、シューターがメンションされるのが多い。筆者が言いたいのは、「ゲーム性のはっきりしているシューターですら」今ではそうなのだ、なのか、「シューターこそストーリーがなければ皆一緒」と言いたいのか、どちらだろう。
 自分自身はあまりシューターを数多く遊ばない。上では"Bioshock"、"Crysis"、"Modern Warfare"くらいしか遊んでないので半分以下なのだが、個人的には、ストーリーに惹かれて最後まで頑張る、というのは否定できない。マルチプレイが面倒くさくなってきたので、今やシューターを買う理由もそれくらいしかない。
 
 "Mass Effect 2"で「プレイヤーが感じること」を選択肢に持ってきたのは、いくら褒めてもきりが無いくらい賢いことだと思う。長々とした会話を読まなくても「そんなことして大丈夫か?」、「それは認めたくない」などの短いフレーズだけ選べばいいので、会話のテンポが格段に良い。

"Dragon Age: Origins"で、NPCの好感度をあげロマンスなどを進める際に、絨毯爆撃式に会話選択肢を選ばないとならないのは、リプレイでは特に辟易するが、"Awakening"では「意図的に」その方式を変更した。風景の中にある対象物をクリックするとプレイヤーと特定のNPCの会話が始まるというもので、これも賢い変更だと思う。逆に"Awakening"への前作のキャラクターのインポートは、ストーリー面では大変おざなりなものにされてしまったのが残念だ。
 
 以前紹介したように、"Dragon Age: Origins"のライターいわく、良いストーリーとは「ライターのストーリーではなく」、「プレイヤーのストーリー」であることが、ここでも触れられている。
 残念ながら"Heavy Rain"のストーリーは自分のものにはなり得なかった。
 "Nier"のストーリーは多少ライターのストーリーに寄っていたかもしれないが、多くの人が「自分のストーリー」と感じられるものになりうる。絶賛している向きは、他の全てを無視してでもそこを褒めているのかもしれない。

 個人的にはRPGやAVDが黄昏ジャンルであると思っているのだが、もしこのエッセイの筆者の読みが正しければ・・・。
 再び脚光を浴びる日が近いのか?!
(そういうことに関する話題も逐一触れていきたいと思います)

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