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2010年5月31日 (月)

フェティシズムとしてのパッケージ(3)

 懐かしいFFIXを、PSPでぽちぽち遊んでいるからでもないでしょうが、ちょっとトランス状態気味。
 しかし一本道、ストーリー街道まっしぐらなのに、なんであんな感情移入しちゃうんだろうね・・・。だいぶ中身を忘れていたから、新鮮な気持ちで出来るかと思ったが、もう鮮明に思い出してきた。RPGが好きでPS3/PSPがあって、まだやってない方はぜひ。個人的趣味ではFFXと同じかそれに勝ってるかもしれない。

 ただ「ネットのみんなの要望がすごいので、配信しました」とかスクエニがウソこいたのが気に食わない。FFVII、FFVIIIと配信やってきて、FFIXやらない理由を述べよ!
 そうやっていたいけなねちずん(死語?)をたぶらかす所業、許すまじ。でもFFXIIの配信やってくんねえかなあ・・・。あれ今だに消化不良なんだよね。PS2の画像じゃやる気しないんだわ・・・。お願い、スクエニさま!w

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 ココログ以外の方はここは無視して。Blogの編集管理画面にリンクが出ていて、今初めてBlog記事と連動していることに気がついた。「フェティシズム」がひっかかったらしい。

 だが、「映画」のリンクはわかるが、ずっと長いこと「愛犬家」のリンクが出ていたのはなぜ?
 そうか、DA:Oの犬の悪口とか散々書いたからか!
 その頭の悪いリンクなんとかしたら?
 
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 京極夏彦先生がiPad向け新作を執筆されるそうで、単行本とiPadのどっちが重たくてかさばるんだろうw、と仲間うちで盛り上がりました。
 英文だと不思議に気にならないんだが、和文しかも縦書きに慣れてしまってるので、青空文庫とか読むの苦痛なんですよね。PCのつくりとして向いていないのかもしれない。
 でも、読み方人それぞれだろうが、「どこかに書いてあったはず!」とか後になって調べたくなることが格段に多いので、書籍のデジタルコンテンツ化は嬉しいかもしれない。もちろんお金は払うつもり。

 出版関係のマグニチュードも、激震級といわれる。
 書籍もフェティシズムの対象であることはまちがいないし、豪華本革装丁とか、もう別の種類のそっち関係にも通じるかもしれない。「袋とじ」とか、豪華付録つきのため紐でボンデイジされてるとか、そそるw。やばい、その手の話は封印する約束だった(誰と?)。

 最近でもあるだろうが、小説がたくさん載っている雑誌というものがあった。オールなんとかとかそういうもの。集合名詞でなんというのか知らない。調査中。「月刊娯楽文芸雑誌」だそうだ。やっぱこれじゃ意味わからん。
 今はだいぶ廃れたのかな。その昔、経済的理由などであまり学校にいけなかった人が、コンプレックスの裏返しとして、必死に読んでいるということを本人から直接聴いて知り、目から鱗が落ちたことがある。誰が読むんだろうと思っていたが、そういう需要があったのだ。
 こういう驚愕すべき視点が与えられることをパラダイム・シフトというんだそうだが、まさにそれだった。そのときは絶句した。

 つまり、私などの世代は物心ついた時から、自分で書店で自由に書籍(コミックでもいい)を選ぶわけだ。ところが、人としての嗜みとして「小説を読まないかん!」と思い込んでる(それ自体なんら悪いことでもない)世代は、子供の頃そういう習慣がないから一体何から読んでいいかわからない。例えば新聞連載小説の作家で選ぶとかそういう狭い範囲のチャンスはあるが、日本の流行作家が必ず何か書いている小説雑誌なら選り取りみどりだったわけです。
 あー、若い人に通じねえか、つまり「週間少年ジャンプ」の小説版だよ。ちょっと違うけど、最初から単行本を買うのではなく、週刊誌(小説は大抵月刊誌)を購読していてお気に入りを探す感じ。でも単行本をまったく買わず、その月刊誌だけで間に合わせるという人も非常に多かったようだ。

 ネット書籍化、日本でもすでに一部コミックでは大々的に行われていますし、ちょっと「立ち読み」して好きなものを選べるのはありがたい。小説だってさわりだけ読ませてくれれば、買おうという気になるかもしれないし、アドバルーン代わりの無料小説で興味を呼ぶなども、もうやられてるのかな?

 実はKindleをもてはやし、iPadで熱狂しているアメリカ人はあまり書物を読まない。正確には偏った層しか読まない。かつて誰かが何かしら(週間少年ジャンプ含む)読んでいた日本の通勤電車の中の光景は彼ら彼女の目には異様に映ったらしい。

 それも今は昔。通勤電車で週間少年ジャンプすら読んでる人はもういない。
 もうだいぶ前、紀伊国屋書店とか丸善の売り上げリストの上位がアイドル写真集とゲーム攻略本に占領されていた頃に気がつかなければいけなかったんでしょう。

 もう日本人は本を読まない。良くも悪くもアメリカに追いついてきた。

 だからiPadの問題とはあんまし関係がない。街角の書店はすでにAmazon上陸で痛撃されてるし、勝ち残るためチェーン化・大型化がすでに一周してしまってる。ここでもミドルマンが古い慣習にしがみついてるとやられる、というだけで一般大衆のダメージは限定的。
 ネット書籍で、物的流通をしているどこかの宅配便が多少打撃を受けるかもしれないが、彼らは別にそれだけで配送ネットワークを築いてるわけじゃない。

 「書籍の再販売価格を廃止すると、ごく少数しか需要がないが大事な学術書や、思想がかった書籍が出版できなくなる!」という言い訳で、全部保護されてきた。その言い訳は通じないでしょう(日本では別な理由で新聞も音楽CDもそうだった)。
 需要があるなら、どうしても入手したいならむしろネットのほうが(しかもテキストとしての書籍のほうが)直接入手しやすいし、事足りる。中古書籍など今ではネットでいとも容易く日本中から(高いけど)入手できて、ありがたすぎて涙が出る。古書街を泣きながら、痛い足さすりながら歩き回ってたもんです。

 だからあまり同情しない。気にすべきはネットでタダで読まれたら書き手が飢え死にする!という点くらいですがこれもゼッタイハンタイ!の理由にはなりえないでしょう。工夫次第で本当に対価を払った人にだけ内容を届けることはできるはず。書籍というものは元々貸し借りするものだし、その点まで規制するならそれは反動だ。

 そもそも皆書籍を読まなくなったんだから、何を気にする必要があるだろう?

 かつて家を建てたら百科事典なるものを揃えるという文化があった。百科事典の訪問セールスが成立していたのです。もちろん、めったに使わない。気の利いたませた子供が暇つぶしに一巻づつ読むとか、そういうことはあったかもしれない。
 百科事典なんて飾り、飾りですよ。
 また、似た発想でコーヒーテーブル本とかインテリア本、中身関係ナシに装丁と室内アクセントのためだけに存在する本があります。
 もしかしたら、そんなものだけ残る世界なんて、なんだかSF的じゃないですか。

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